満身創痍の子供は葬られる

(本当に書いているのは9/13)
 
心の問題について、ここ数年かなり集中して解決してきて、最後の一山の前に立っているところ、という感じ。
(解決したい! と思ってはや8年くらいになる。)
 
色んな人からのあたたかい気持ちに感謝しながら、とりあえず少し休憩を取ります。
と言うと天邪鬼なので多分取らないのだがw、まあとにかく、今は心が満身創痍なのを感じる。
今までは、それさえも気づいていなかったのだから、最後の一山のまえに、えらい進歩だったと思う、よこぞここまで。
 
振り返ると、本当にかわいそうな子だったな、自分は。
しかしそろそろそのかわいそうな子の魂は葬られるのだな。
葬るときには、もう苦しむ必要のないことで苦しまなくていいと、悩む必要のないことで悩まなくていいと弔ってやりたい。
それはこれから道行く自分に対して同時にかける言葉、ではなく、純粋に、苦しんでいた魂に対して。本当に、死者に言うような気持ちで。
 
葬った子は、彼女の一番行きたかったところに埋めてあげよう。
そこは海辺で、静かなところだ。
そこには彼女に恐怖を与える母親もいないし、彼女が女の子に生まれたことに罪悪感を持たせる父親もいない。
彼女にとって、両親は世界であったが、同時に外部でしかありえなかった。
どう転んでも相容れない人たちだったので。
彼女が逝くときは、両親のことは胸に抱かない。
今ここにいる私の手だけが、彼女の魂を安らかに眠らせる。
もう苦しむ必要のないことで苦しまなくていいと、悩む必要のないことで悩まなくていいと、語りかけてやれるのは私しかいない。
 
本当にかわいそうな子だった。
何があっても悪いのはすべて自分だと思っていた。
自分を責めるという解決法しか知らなかった。
 
自分は自分であってはいけないと思っていたので。
 
恐らく心の解放は苦しみののちにしかありえない。
塗炭の苦しみ、火に焼かれるような苦しみ、心から血を流したまま歩く、しかし、それらは終わる。
 
あと一山だ。