自分のなかのSLIPKNOTを掘り起こす

今日、ばくちくのライヴDVD観てたらなぜかSLIPKNOTのが観たくなって(しかもその途中でましんへっどを観るというはしごぶりw)、4年ぶりに観た。
「Disasterpieces」ね。
 
最近CD屋に何度か行ったので、そのたびに
「新作は日本先行発売。8/19。うむ」
とpopを確認して新作への気持ちを高めていたのだが、やっぱりライヴ映像ってのは何よりも強力だ。
 
特に「Disaster〜」はセカンドのときのライヴで、ファーストのときから観ている身としては、このセカンドのときのライヴ(@名古屋)」はほんとにまじに烈しく楽しかった。
  
まあ、サードが出て、そのころネットで書いたか忘れたけど、ああ、やっと年齢相応の音を出してくれたな、と思って、アルバムとしてはサードが一番好きなんだけど、ライヴはセカンドのときがすわいこうだったな〜。
 
 
う〜ん、書き出したら何が書きたかったのか忘れちゃった。
ただ、何か、単純にDVDを観て興奮して楽しかった、ということと、あと、自分のなか、どこかの地点に帰ってきたような感覚がある、ということが書きたいのかなあ。
 
 
↑で書いたように、サードでやっと年齢相応の音を出した、と思っているのだけど、それはメンバーのほとんどが同世代だから、よけい感じたことだった。
 
そしてまた、サードと比較すると、セカンドに関して思うのは、まったく個人的に、ああ、あれはキッズのために作ったんだなあ、と言うか、迎合しているということではなくて、彼らの頭のなかに、どうしたらキッズに楽しんでもらえるか、そしてまた、迷えるキッズたち、彼ら自身がかつてそうであった迷えるキッズたちに何ができるのか、いかにキッズのために先頭に立てるか、が一番最初にあったのかなあと思えるサウンドと歌詞だったのかなあということだ。
 
まあある意味、また逆に、その点でサードのことを考えてみれば、メンバー9人もいてあれだけ内省的な空気のある作品も珍しく、しかしきっと当時の彼らにはああいう作品を作るのは必要なことだったのだろう。
(人生のプロセスとして。)
アルバム制作のために来日がフイになったり、そこまでひとつの作品にすべてを傾けなければならなかった状況を想像すると、それはまさにメンバー全員、自己を削る作業だったのだろうけれども、だからこその深みがある。
 
 
まったく情報を拾っていないので4枚目がどんな作品になるか判らないが、あと10日、気持ちを高め続けたいと思う。
 
 
あとさ、今日DVD観て思い出したけど、このバンドのライヴにおける"Surfacing"の重要さは異常。
あの曲に感じる特別さ、と言うか、あの曲が特別である、というバンドとファンの共通認識を思い出せたことが、嬉しかった、というのもあるな、今日は。
 
やっぱ私は、SLIPKNOT+MACHINE HEADのツアーは全ツア説が有力です。