アレな人は一生アレ

いきなりだが、やっぱり、苦手だと思っていることをやるのはめんどくさいな〜。
まあ、いろいろと。
 
ひとつの問題は、まあ放置しておけば表面上うまくいくらしいので、いいのだけれども、自分のなかで道義的に許せない(私自身が、でなく関係者の行動が)ので、今後何十年と対処していかなければいけない相手だけに、許せないまま放置すると、のちのちもう相手とずえったいにかかわりたくない、あのころのあの(私だけでなく関係者全員の)不幸はおまえのせいだ、と思い続ける可能性が非常に高い。
かと言って、今事実を明らかにして、どうなるんだという気持ちもある。
ま、生まれつき相性が最悪だっただけのことなのだろうが。
とりあえず秋くらいまで様子見……か、あるとき衝動的に行動するかも知れない。
 
でも何か、くだらないんだ。すべてが。
こんなことに真剣に取り組んでどうするんだ、と思う。
何と言うか、生まれてからずっとすごいと信じていたものが、実はそうでもなく、まったく、私の価値観からするとくだらないものだった、と最近明らかになり、しかも、
ってか、もっとちゃんと書こうか、↑を書き直すと、
生まれてからずっとすごいと信じていた人が、実はそうでもなく、まったく、私の価値観からするとくだらない人だった、と最近明らかになり、しかも、私はその人をくだらないと思わないがために、その人の属性である男性というものがくだらないのだ、と変換して信じ続けることで自分を守ってきたのだけれども、今分岐点にさしかかっており、その人単体がくだらないと受け入れて、まあ、くだらないなりに真面目に対応しようか、でもくだらないなら時間のむだだからかかわりたくないなあ、と思ったり、あるいは、真剣に対応しても、恐らくそれは、その人は実はくだらなくない、と再び自分のために証明したいだけであって、私自身の苦しみは変わらないのではないか(くだらないものも受け入れるようになったほうがいい)とか、まあ、そういう分岐点である。
もちろん後者が正しい気もするが、てか、個人がくだらないと思ったほうがやっぱりへんに一般化して一般化した対象を憎んでしまうより、ましだよな、ってか健全だよな。
 
でも、ずっとそれができなかったんだよね〜。
それはきっと、その人のくだらなさは、でもしかし、その人の弱さと苦しみの発露なだけであって、その弱さと苦しみを知ると、また私はそれらを自分のものとして取り込んでしまうので、それが恐ろしいのだろうな。
(私はひとの感情を自分のものとして取り込んでしまうくせがあり、それでけっこうおかしな言動をして過去ひとに嫌われてきた。)
 
まあともかく、めんどくさいな〜。
どうしてこうめんどくさい性質で生まれてきちゃったのかな〜。
そういやゆうべ夢で、私が仲間と認識している人が手紙をくれて、その最後に、
「アレな人は一生アレなんだと実感した」
と書いてあったけど、まあきっとそうなのだろうな。