方法が判らないあがきはもういやん

未来エントリが続いていますがw
今日はまだ28日だが30日ぶんでエントリ。うりゃ!
 
 
いろいろ、好きなアーティストがいて、何かきっかけがあると、そのうちのひとりをすさまじく羨ましく思って、ものすごく、何も手につかなくなるんだが(過去よりはだいぶましになったが)。
 
羨ましく思う相手はそのときどきで違うんだが、ともかく、全体的に、前は、彼らが自分たちのやりたいことをやって成功しているということが羨ましいんだと思っていた。
 
けど、最近、違うと判った。
ただ、方法を知っている、というのが羨ましいのだ。
この、心か精神か頭か判らないけど、そこにあるこのあんまり落ち着いてくれないものの使い方を、彼らは早くに見つけられた。
 
たぶん、んもう、この一点のみが羨ましいのだ。
 
私は、ずっと自分をへんだと思っていて、でも、自分でへんと思う人はへんではないと聞くから、普通なんだろう、とも思っていたけど、最近、周囲から普通ではありませんと言われることが増え、また、自分の仲間もまた普通でない人たちだと、もう何か、理屈とかでなく、かなり感覚とか波長とかいうレベルで、その区別がつくようになって、それはいいんだけど、でもさ、こういう、落ち着かない感じが、辛さだけを生むならば、やはりいらんと思うのだ。 

いや、これが、平穏というものに収束してくれれば、まったく問題ないんだが。
けど、私にとって平穏とは、家族を持つことか完全にひとりになること、というふうに両極端なため、ってか多分家族を持つことのほうを重視しているのだろう、だから、ずっと、私より、長くひとりでいた人が、その人の中に孤独をみて安心していたみたいな、そういう人が家族を持つことになりました、と聞くと、著しく動揺して、早い話、辛い。
 
 
って家族の話をしたいのではなかった、何が言いたかったかと言うと、私は、ほんとうに方法が判らないんだよな、このまま、判らないまま死ぬのだけは避けたいが、どうしても、判らん。
 
捧げられた能力を、自分が冷静でいられる事柄に使おうとがんばると、例の、「落ち着かないもの」が、心か精神か頭のなかで、「すいません、私の存在忘れてませんか?」と暴れ、もう、ほんとにうざいんだ、こいつが。
 
 
方法が、知りたい。
ライヴに行って高揚しても、おさまらないし、音楽は大事だけど、言葉が絡むと、「落ち着かないもの」が刺激されてお目覚めになられるし、ってか、ほんと、こいつだけがうざいんだ。
 
 
(語学をがんばろう! としていた時期は、生活のすべてがオーガナイズされていた。が、そこに邁進しようと思ったら、「落ち着かないもの」が暴れだした。早く語学オタク状態に戻りたい。)