かわいい僕ら〜人間編

ほんとは今回のタイトルはMACHINE HEADに関して書こうと思った記事のタイトルなんだが、こっちでも使ってみる。
 
ここ数日で、いきなり、他人がそれぞれひとりの(いい意味での)ちっぽけな存在として認識できるようになってきた。
 
これまで、「自分以外の人間」というのは私にとって絶対的に絶大な力を持っていた。
彼らは、私の持っていない答えをいつも持っていて、いつも迷いなく行動し、私のような常に答えを持たぬ輩を心のなかでいつも断罪しているのだと思っていた。
 
しかし、今年に入ってからかな、自分の辛さにとことんフォーカスするようになってしまい、昨日も書いたように、数週間前、私は「壊れた」のであるが、その経験を通し、あるいは周囲の暖かさに目を開かされ、今はかなりニュートラルな状態にある。
 
そしたら、「ああ、Aさんの今の状況だけど、これまでずっとAさんは強いからあんまり色々気にしてないと思ってたけど、ほんとはちょっと心細く思っているのかも知れないな、今ちょっと怒ってるようにも見えるけど、それはAさんなりの防御のしかたかな」というようなことが見え始めた。
とは言っても、別に自分の推量が正しいわけではないと思う、重要なのは、過去私はずっと、「Aさんは強いから大丈夫だもん! でも私はだめだめだからこの状況は対処できないもんね、ふんふんふん」に入り込んで、Aさんのことを全然考えていなかったということなのである。
(Aさん、はただの例で、ほんとは自分がかかわる相手全てを指す。)
 
だからと言って私が素晴らしい人間になるわけでも全然ないのだけれども(笑)、これまで、「観察対象」としては色んな人をかわいいと思ったりしていたけど、やっと、ドラえもんのび太に見せた、「あったか〜い目(のつもり)」を周囲の人に見せられそうである。