NINに対するパブロフの犬的反応

(基本的に自分語りです)
 
初めて就職したころ、いっつもNINE INCH NAILSを聴いていた。
人間が苦手なのに英会話教師なんぞになったものだから、毎日地獄だったので。
最も共感した歌詞は"Gave Up"の"After everything I've done I hate myself for what I've become"だったから、重い自己嫌悪病にもかかっていた。
 
何と言うか、ファンになった98年〜「Fragile」リリース後の2000年くらいまでは、精神的には暗闇に生きていた。
なぜ自分が不幸なのか、なぜいつも怒っているのか、なぜ人間が嫌いなのか、なぜ自分が嫌いなのか、何も判らずに、ただ自分のなかで暴れる何かに翻弄されていた。
 
確かに当時、私にはトレント・レズナーの言葉が必要だった。いやなことがあると、外界を遮断してNINを聴いた。
 
 
2005年に「With Teeth」が発売されたころには、自分は様々な問題の解決の入り口に立っていたが、「With Teeth」の内容から、同時にレズナーも大きく変ったのだと思った。
ただ、幕張のサマソニにおいては、NINは事務的にライヴをこなしていた印象があり、久々にNINが観られてよかったのう、くらいな感慨しかなかった。
 
 
2007年になると、来日すると聞いて大騒ぎしたわりには新作が出ることも知らず。
5月のライヴ、自分的初日である22日の名古屋公演が始まる前は、「何を期待する? ともかくいいショウをやってくれればいいよな」とだけ思っていた。
精神的作用も期待しない。ただあのカッコイイ音楽を聴かせてくれと、それだけだった。
 
翌日、大阪に移ったが、そこで感じたのは、もう98〜2000年当時の闇からは完全に脱したという感慨であり、大阪公演初日においては、余裕の気持ちで彼らの演奏を楽しめる幸せを感じた。
きっと、昔は、NINのライヴと言うと気合が入りすぎて、楽しむ以前の問題だったのだろう。こないだちょっと書いたけど、オーストラリアで観たときはそれはもうすさまじく、意地になって最前につっこんで、いちおうレズナーに触れることはできたけども、圧迫されて死にそうになって、警備員に「助けて」光線を出して救ってもらった。何つーか、「一度無茶したから、これからはもういいや」という意味での余裕も今はありw
 
で、大阪の二日目、NIN的にもワールドツアーの最終日だ。
この日は一番聴きたかった"Sin"が序盤に来たことや、全く予想外の"The Frail"のピアノ演奏と"The Day the World Went Away"が来たことで、テンションが否が応にも上がったという経緯もあったが、終盤、"The Hand that Feeds You"のとき、何の混じり気もない純度100の幸せを感じた。ライヴが終ってホテルに戻っても、その幸せは去らなかった。それどころか、それはその後数日続いた。
 
 
と、ここでやっとタイトルに使った「パブロフの犬反応」について触れるのだがw、最終日での"The Hand that Feeds You"、あのとき、ひとつの回路が自分の頭の中でつながったようである。
NINを聴くと、特にレズナーの声を聴くと、幸せでにやにやしちゃうのである。
機嫌が悪くても、多少滅入っていても、NINを聴くと、大阪最終日を思い出して、いや、もう思い出さなくても、にやにやする。
もはやレズナーが歌詞で何を言っているかは関係なく、あのサウンドは、声は、自分の幸せを喚起するスイッチとなったようだ。
 
まさかNINが幸せの源になるとはなあ。
人生、生きてみないと判らんもんである。