腰抜け類逃避型

こないだうち書いていた小説(現在再推敲最終段階)の主人公を、何年か前に別の話で使ったとき、そいつが自らを「腰抜け類逃避型」と分類するのだけれども、それはとりもなおさず自分のことだった。
なぜかずっと「逃げ」というのが興味の対象で、人はなぜ逃げるのか、というようなことを考えたこともあったが、それは結局自分の基本姿勢が逃げだからだ。
 
この1年くらいでかなりましになったとは言え、今かなりはっきり、何には対処できるが何からは逃げようとするか、わかってきた。
逃げたい事柄に関しては、ずっともっともらしい理由があって避けたりしてきたのだが、最近、「これは正統な拒否理由なのか、はたまた逃げたいがためにもっともらしい理由をつけているのか?」と考えだして、ひとまず、こう思うきっかけになった事柄に関しては、逃げないことにしてみた。
 
今この瞬間においても逃げていることがあって、本来は楽しいことのはずで、実際始めてみれば楽しいのだけれども、踏み出すまでが苦しい。
 
まあ、すぐには逃げるくせは治らないと思うけど、何かから退きたいと思うとき、「今ある理由は正当なのか、逃げたいがためにもっともらしい理由をつけたのか」と点検できるようになったのは、進歩ではある。