方言を聞くと切ない

ひとつの言語はひとつの世界だと思っている。
英語を必死に習得したのは、たぶん当時憧れていた人たちが英語を話す人たちだったからだ。
彼らの言葉が判らなかったらいつまでも違う世界にいるような気がして、それが切なくて、必死に彼らのように話せるようになろうとした。
 
ただ、それはどこまで追い求めても得られぬもので、たとえ英検の1級を取ろうが、TOEICで満点近く取ろうが、結局私は日本語の世界の住人だし、英語の世界で迷うことはないけれども、やっぱりネイティヴの人たちとは違う世界に生きている。
 
私は言葉の話に異様に熱くなるのだけれども、それには方言の話も含まれていて、周囲で方言で話す人がいようものなら、その方言について様々な質問をするし、同時に、方言を話す人に嫉妬する。
出身は名古屋ではあるが育った土地がディープ名古屋ではなかったため(この話前も書いたっけ)、私にはひとつの「世界」と呼べるほどの方言がない。
だから、関西弁だろうが東北弁だろうが、土地の言葉が標準語とかけ離れている人たちが羨ましい。
そして、それが自分が気にかけている人であれば、やっぱり英語を話す人たちに近づこうとしていたときのように、切なくなる。
日本語という共通の世界は持っているけれども、彼らの方言の世界には、やっぱり私は入れない。
特に、それまで標準語で世界を共有していると思っていたのに、実は相手がディープな方言を使う人であったことを予期せず知ったときなどは、それまで世界を共有していると思っていたゆえに、外国語を話す相手よりさみしいかも知れない。
 
そんなわけでもし今のOUTRAGEツアーに行く方がいらっしゃいましたら、彼らのディープな名古屋弁に切ながってくださいw
わしゃ話せはしないがいちおう彼らの言語は理解できるもんね。