うちの近所にたちきり道場って道場がある(だからって何でもない)

何だか落ち着かねえ夜だ。
何で子供が母親に問題への対処法を諭さねばならんのか。
ってか諭しても自分もまだ人生における問題脱しきれてねえのになあ。
こないだ会社の人と語って、ふと、生きるのはやっぱり大変だねえ、という話になったが。
確かに、そうだ。
色々学んで問題をひとつずつ脱しても、完全なる心の平安は訪れない。
 
私はやっぱり、先に逝った人は、卒業したのだと思っている。
自分はまだ、他人への執着さえ卒業できずにいる。
断ち切ることのいかに切ないことか。
存在しねえと言い切って断ち切るのか。
あえて直視して、「だろ?」と納得して断ち切るのか。
でも、「だろ?」と思えなかったらどうするのだろう。
逆のベクトルで「だよね?」と思ったらどうするのだろう。
 
ってごちゃごちゃ言うまえに他人さまに頼まれた翻訳をやります、ほんとすみません・汗