私はいかにして国内ヘヴィロックシーン住人となったか(結局後半は橋本ばなし)

最近ひとりごと的に饒舌なのは(自分の実力が)不安だからである。たぶんそれにつきる。
ということでメールが数通返信できてませんがすみませんorz
 
今日は昔話でもしようかな。日本のヘヴィロックシーンにいかにして入り込むようになったか。
私個人の歴史なので、読んでもたぶん面白くないですよ。でも書く。
 
自分はもともとロックはBOOWYとか邦楽を聴いてて、洋楽は映画のサントラでなじんでた、という感じだった。
メタルは聖飢魔Ⅱが最初で、そのあとHELLOWEENとかQUENSRYCHEとか好きになった。だいたい80年代の終わり。
で、メタルに本格的に入れ込み始めたのが91年くらいからで、メタルの世界では日本のバンドと海外のバンドに確固たる線引きがあるのを知って、そんなもんなんだ? と思っていた。
Xは聴いてたけどメタルという認識はなかった。筋少も好きだったけど、単体でしか聴いてないから、ナゴムレコードがどうのとか、シーンのことは何も知らなかった。
 
日本のバンドにしぼると、聖飢魔Ⅱ以外は実はメタルよりパンクのほうが遭遇が早かったな。と言ってもTHE STALINくらいだけど。ってのはBUCK-TICKの影響なんだよね、B-Tにはヘンなバンドとかジャンル、だいぶ教えられましたよ。
 
今好きな日本のヘヴィロックシーンに初めて接近したのは、実はDOOMの藤田さんがSOFT BALLETのライヴでギターを担当していたのを観たときだった。と言っても彼が何者か知らず、DOOMも知らなかったけど。
あ、違うな。それよりちょっと前、音楽つながりで知り合った男の子の、
「こないだスタジオで練習してて、隣がえらいうまいと思ったらOUTRAGEだった」
って一言だなw 当時は名前は知ってたけど聴いたことなかった。
あと、大学で軽音楽部に入っていたので、その先輩たちが外でライヴをやるとき、今池ハックフィンとかに行っていた。
当時はまだハードコアの方々が怖かった時代らしいけど、何も知らずに女子3人とかで行って「先輩〜」とかやっていた。無知って怖いですね。
ともかく、これが時代的にはやはり91年くらい。
 
そういや、軽音楽部で思い出した。
ひょっとするとヘヴィロックシーン初接近はDISGUSTの遠藤さんと大学で机並べて勉強したのが最初だったりしてw
DISGUSTのまえのvoのあつさん(だっけ)は、私のひとつ下で、確かアメリカ民謡研究会というのに入っていた。で、「すごい1年生が入ってきたな!」とか言っていた気がする。(軽音の部室はアメ研の隣だった。)
 
それはともかく、上記さまざまなプチ接近のあとは、THE MAD CAPSULE MARKET'Sで日本のヘヴィロックバンドに触れた。
このバンドはhideちゃんとかB-Tの今井くんが大絶賛していて、B-Tファンの間でも話題になってはいたのだが、アルバム聴いてもピンとこなかった。
のだけど、B-TとかSOFT BALLETが共演したイベントにゲストとして出てたんだよね。で、私と友人は初めは後ろにいたんだけど、voのKyonoのいでたちがフィル・アンセルモにそっくりだったので瞬時に私が前に駆け出し、友人もついてきた。このときのことは忘れられない。
って、と〜ぜん音楽もカッコよかったんですよ。ちょうど「Park」が出る直前で、あれの1曲目とか、当時の私には衝撃的なヘヴィロックだったのです。
 
で、93年くらいからメタル系のラジオ(主に「Heavy Metal Syndicate」)を聴き始めて、たぶん「Heavy Metal Syndicate」で初めて聴いた日本のバンドはUNITEDじゃなかったかな? 「N.O.I.Q.」ですよ、「N.O.I.Q.」。"Revenger"、今思い出してもカッコヨス。
で、ちょうど94年からSLAYERのファンになって、95年の来日のとき、オープニングがUNITEDで、それがMAD以降、初めて観た日本のヘヴィ系バンドかな?
そういやMADは当時必ずライヴ行ってたんだよね。でも、ライヴで"だんだん"をやらなくなってから、行かなくなった。
 
OUTRAGEも「Heavy Metal Syndicate」で初めて聴いた。「Life Until Deaf」の"Megalomania"でしたね。で、すごいじゃないか! と。
ゲストとして阿部さんと橋本さんが出ていたけど、あまりな名古屋弁に悶絶したw (当時はまだ完全なる橋本信者ではなかった。)
橋本さんは、これをきっかけに、声と歌いまわしが好みで好きになったんだけど、雑誌でみたらルックスも好みで、あと地元びいきもあってファンになったんだと思う。どーでもいいけどわし韓流なんてのは嫌いだったけど、実は韓国系男性の顔は全般的に好みなのですよ。
 
まあそんな感じで、やっぱ当時、X以外で日本で一番名が通っていたUNITEDとOUTRAGE、このあたりから日本にもいいバンドいるわね〜となったのだけど、ライヴハウスに行くという発想がなかったんだよね、これが。
「EAT Magazine」は創刊から読んではいたのだけど、どういう読み方してたんだろうね? 95年くらいから音楽ライターになりたくて、持ってる雑誌は全記事読む努力をしていたはずなんだけど。ライヴハウスに一緒に行く人がいなかったからかな。よく覚えていない。
 
そんなよくわからない時代を経て、日本のヘヴィロックバンドをまとめて聴く機会ってのは、98年に突然訪れたんですよ!
SLAYERがシークレット・ギグをやるのよ、と「EAT」で告知されていて、共演バンドを全部チェックしたんだよね。
UNITEDは知ってたから、COCOBATYELLOW MACHINEGUN、UPHOLD、HELLCHILD、あとは忘れた!
当時はイエマシが一番気に入った。UPHOLD、HELLCHILDはよくわからず。COCOBATはファーストを買って、それがPULLING TEETH鈴木さんのギターとの初邂逅になったけど、COCOBATサウンドは好きになれなかった。
(このCDは売ってしまって、2001年くらいにまた買い直したという、とほほな経緯をたどる。ま、両方新品で買ったから、印税的には貢献したかな!?)
 
ライヴ当日、思い出の赤坂ブリッツにSLAYERとイエマシが楽しみで行ったんだけど、確か最初、ルックスのいい人たちが3人で難解っぽい演奏して、そのあとが恐らくUPHOLD、で、女子が出てきませんが! と思ってたら、病気でキャンセルだった。
(ちなみに3人で演奏していたのは結成して間もないPULLING TEETHだった。3年後くらいに知った。当時は鈴木さんが誰かも知らず。無知ってやっぱ怖いね。どう怖いかわかんないけど。)
このときはHELLCHILDが一番印象的だったね。サウンドもすごかったけど、原川さんのいでたちが。アロハシャツのようなものを着て。見てはいけないものを見た、ってか、まさに衝撃! でしたよ。
 
このころOUTRAGEは「Who We are」を発売したんだけど、ラジオで聴いた曲があまりピンとこなかったので買わなかった。けど、その後「It's Packed!」が出て、"Broken Man"のライヴバージョンがいたく気に入って「Who We are」も買った。
このころから自分は橋本直樹のファンである! という自覚が強まった感がある。まえも書いたけど、当時の私の生活における目標は、名古屋の街で偶然橋本さんとすれ違うことであった! (今もそうだけどw)
それはともかく、「It's Packed!」が出たあとに、クアトロの何周年記念かのイベントでOUTRAGEが出る! ってんで、99年6月、観に行った。
観に行ったんだよ。
何か、このときの記憶がヘンでさ。ステージのまえに、花道よろしく追加のステージが張り出すようにくっついてて、そこで演奏した、って映像になってるんだよね。それだけステージが迫って見えたのだろうが、そんなに前に行った記憶はないのだけど。それだけ特別な思いがあったのだろうな、と今は思っている。
 
このライヴで、よし、これからOUTRAGEファンの本格的道のりが始まる! と思いながら、私はワーホリで豪州に旅立った。「It's Packed!」は豪州まで持参した。
 
そうしたら、橋本さんが脱退した。
 
今思うと、彼は私にとって、ヘヴィ系でほんと〜にファンになった初めての日本人なんだよね(厳密に言うと違うけど、彼が何系だろうがよい)。
たまに、もういなくなってしまったから、より思い入れが強いのかな、と思うんだけど、やっぱり活動を続けていても、同じくらい好きだったろうな。
歌い手として、ステージに立つ人として、すべてが私にとってパーフェクトなのだけど、それ以外の理由、何つーか、パーフェクト、と言えるミュージシャンはほかにもいないわけじゃないのに、何で橋本さんだけ特別なのだろう? と考えても、答えが出ないんだよね。声が一番好き、以外の理由がある気がしてならないのだけど、それがわからない。
でも、それが橋本さんなのだろうね。その後、何人か話した橋本信者の人々は、みな、そんな感じだった気がする。これぞカリスマ、か。
 
そんなわけで、2000年秋、豪州から日本に帰国した時点で、シーンに橋本直樹なき現状、ここで、日本のヘヴィロックシーンの住人になる道はいったん終ったかに見えた。
 
ってとこで、長くなりすぎたので続きはそのうち。
(って言って続きを書いたためしはない。)