ともかく思う存分呑んで食ってくれよ、Satoo

Satooさん、あんたが天上におわす方になってからちょうど2年のこの日、何を書こうかと数日前から考えてたんだけど、やっぱり幸せでいてくれよと、それしかない。
ってほんとは色々あるんだけど、究極のところは、幸せな状態でいてくれと。こっちはたまにあんたを失った痛みに右往左往してるけれども、それでもそっちの幸せを願うよ。
 
と押しつけがましく言って申し訳ないが、たまにはこんな感じのこと言ってていいと思うんだよ。
大切な仲間が亡くなると、誰もが「でも前向きに」とか「悲しんでちゃいけない」とか、妙にポジになるけどもさ。そして、もちろんそう言うことの大切さも心底判ってるけどさ。
それだけじゃねえだろうと。本音を言ってみろと。たまに思うわけですよ。で、誤解されるリスク背負いながらも、私はあえてこうして書いている。
正直、つらかったよ、痛かったよ。と言うか過去形じゃないときもあるね、仲間失ったことある人ならみんな判るだろう、どんなに前を向いていても、たまに痛みにのたうちまわるときがあるだろう?
それは先に逝った仲間のせいではないが、それでも、たまには自分の中でくらい「つらい」と口走ってもいいんではないかと思う。
私も普段は決して誰にも言わない。けど、今日は何となく外に向けて書いてみた。
Satooを失って、果てしなくつらかった。
 
だからともかくSatooさん、あんたにはうちらのそういう姿を見守っていてほしいわけだ、入院中に食べられなかった、飲めなかったもの好きなだけ飲み食いしながらさ、高見の見物しててちょーだい、そして何かあったらたまに「しょーがねえなあ」とあの苦笑を見せながらうちらを支えにきてください。
  
総ては思い通りにはいかない、それはSatooさんが一番身にしみて判ってることだとは思うけど、まだこっちで生きてるうちらは、思い通りにならないことにイラついたり、失望したり、時にはシリアスに絶望したりする。正直、今の日本のヘヴィロックシーンは、Satooさんがいた頃と比べて活発になったとは言えないし。
けど、最近私は、そういう思い通りにいかない状況を「それもありだ」と受け容れられるようになったよ。まあいちおうそれが、Satooさんがいなくなってからできた、自分の一番の成長かな。
 
今日は多分、たくさんの人がSatooさんに「ありがとう」を言ってる。「忘れねえぜ」とか「愛してるぜ」とか言ってる仲間もいると思う。
で、この特別な気持ちをうちらに持たせてくれるSatooさんに向けて、私はいろいろ上でごちゃごちゃ書いたけども、結局は、私も「ありがとう」を言っちゃうんだよ、そして、Satooのために何かをしたいと思うんだよ。最後はそれを願うんだ。
 
ってことで、出だしに戻る。今どこにいるか判りませんが、幸せでいてください。
 
って言うか、まあ、なんだ。思う存分呑み食いしてくれと。それしかねえやな、って命日の今日、これがSatooにおくる言葉。