ねこだが、何か、喉の横、恐らくリンパにも100円玉大くらいのと、1センチに満たない感じのと、あともうよう判らんけど、何かしこりが複数ある。
 
手術した耳の下からまだ少しずつ膿が出てくるので毎日耳下から喉にかけて拭いているのだが、今日いきなり↑のことに気づいた。
 
リンパ腫はめっちゃ進行が早いらしい。
 
よく判らんけど、もう動物を飼うのはやめよう。
病気の子のほかに2匹いるけれど、この3匹で終りにしようかな。
まあこういう気持ちって日々変っていくものだからいつかまた変るのかも知れないけど。
 
今まで飼っていたのが全部天寿をまっとうしていたので、多少、色んなことを軽く考えていたフシもある。
 
とりあえず明日病院に連れていこう。
 
 
あと、最近いろんなことがよく判らない。
無がすべての正解なんじゃないかという気もする。
 
 
そういや石塚(仮名)の飼っている犬もホルモンの病気の疑いがあり。
 
何だろう、何だろうなあ。
ほんとに最近よく判らない。
 
我々の努力の、恐らく8割ほどはむだで、我々の希望の、恐らく9割ほどは叶うことはない。
やはり無が正解なんじゃないだろうか?
しかたなく生きる、という態度が、実はとても自然なのではないだろうか?
努力や希望はモルヒネのようなもので、そういったもので感覚をごまかさないと、やっていけないほど生きること自体が苦痛なのではなかろうか?
 
ならばなぜ「生」というものがあるのだろう?
一時期よく、辛いことは(魂の)成長のためにあるんだ、と考えていたけど、最近この考えが好きじゃなくなってきてる。
成長などしたくないので苦痛なく生きたい。
いや、生きたい、ってより、話は戻るが、生自体が苦痛ならば、すべての「存在」自体が何のためにあるのかよく判らない。
だから無がすべての答えだと感じるのだ。
 
明日も仕事か〜。
かったるいってか、くだらねえな。
ほんとな。
何か心ゆさぶられることがあると、自分のなかの何人かが、
「仕事ってくだらなくね?」
と言ってくる。
「生きる」ために仕事をするのだけど、「生きる」自体にあまり意味がないのだとしたら、ほんとに仕事ってくだらねえと思うんだけど。
 
何かよく判らんまま寝る。