SUNS OWL/Over Drive

ぬおっ、スターありがとうございます!
(以前もほかのかたにいただきましたがお礼を言うタイミングがなかった、と言うか「間違って押したのでは、、、」と思っていたけど、ともかく、そのときの人も、ありがとう!!)
 
 
今日はめまぐるしい展開があり、、、
 
判ったのは、私がずっとほしかった言葉は、
「がんばらなくてもいいんだよ」

「そのままの自分でいいんだよ」
でなく、
「できなくてもいいんだよ」
なのではないかと、この気づきと答えのあいだにはまだ数メートルの霧があるのだろうが、そんな気がした。
 
 
今、会社である社員の人の下で働く機会が多いんだが、昔は大っ嫌いだったんですよ、この人。
でも少し離れてるあいだに相手もかなり精神的に成長したようで(偉そうなわし)、このほどいろいろやりとりしてみたら、違和感もあまりなく。
 
私のできていないところをそのまま指摘することもなく、何か、その、できなかったことを吸収してくれると言うのか。
できなかったはできなかったでいいから、現状から一番いい方法を考えよう、困ったときは相談してね、みたいな。
ほんと、昔は細かいだけのイヤなヤツだと思っていたのだが、いつの間にこんなに変ったんだろうかw とまた偉そうなわし。
 
つか、私はほんとに「できない人」なんですよ。
たぶん翻訳も向いてないw
細かいことは大好きなんだけど、実務的なこととか事務的なことの、完遂が苦手と言うか。
 
これについては、ある人がすごくしっくりきた分類をしてて。
人間の性質って、個人個人で幾多もありながらも、でもどこかのポイントでは、ぽんと、ふたつに割ってしまえることがあって、これはそのひとつなんだけど。
実務的なことが得意か否か。
 
私は細かいことが好きなので、実務的なことが得意! 使えるヤツ! と周囲に思ってほしかったけど、いや、違うな。
どれだけ細心の注意を払ってもポカをやるんだよね。
 
翻訳自体向いてない気もするが、歌詞対訳はそのへんまだ情緒的なジャンルなため、細かさ勝負、みたいなことは必要なく、たぶん、こっちのほうが向いている。
 
あるポイントでは、人は、できるかできないか、ほんとに明瞭に分れていると思う。
私は、できない! 実務的なことが!
 
でも、今までずっと、
「できなきゃ、できなきゃ」
と思ってきて、例えば、今イチ仕事で細部に気が回らない、ってことが露呈したときに、一生懸命とりつくろったりしようとしてきた。
けど、ごめん、私はそういうことができないw!
そういうことがものすごくできて、上司にも重用されて、って人に憧れて、その人のすごさを、真似ることくらいはできるだろうが、本質的には、むり。
 
今日のミーティングなんかまさにそうで、気が回らない私のせいで最初、へんな雰囲気にw
でも、いいんだよ、もう、「できなくても」。
翻訳も全然だめだけど(歌詞対訳(和訳)の名誉のために言っておきますが会社では英訳をやってる)、いや、少なくともだめと言われてるだろうということは察知しているが、幸い派遣先がでかいところだから、だめな者も使ってくれるし、上司も私が使えないヤツだと気づいていることはうまく隠して接してくれるし、でも、そう、しかし、諸々の苦しみは、
「私はできるかも」
という勘違い、過大評価による!
 
これはひがみではなく、繰り返すが、人間、できないものはできないw!
 
私は子供のころから、最初に出会ったときは
「この子(人)すごいんじゃ!?」
と周囲をキラキラさせておいて、時間とともに
「……あれ」と、「全然普通……いや、むしろだめ(使えない)……」
と気づかれて、ま、そのままうやむやになっていくという、そういうパターンを辿ってきたw
 
今回の職場もまさにそうで、ええ、ええ、確かに私はテストの点数はいいし資格も一見すごそうなのを持っている!
そして、音楽が好きで幸い耳がいいから、非ネイティヴが聞くと「きれいに聞える」発音ができる!
それでみんな騙されてしまう。
けど、「仕事」では使えない。
 
でも、それでいいんだよ。
だって、できないものはできないw!
 
と繰り返したところで。
もうちょっと、
「できなくてもいいんだよ」
を自分に浸透させたいな。
ほんとはこれに気づいたのはあるブログを読んだからなんだけど、特に意味もないがリンクは張らないでおく。
 
んで、「仕事」では使えない人間なので、じゃあ何で役に立てるのかなあと考えると、やっぱ、何らかの特殊な方面なのだとは思うが、その方面でもひょっとすると何もできないのかも知れないね。
 
でも別にそれでいいんじゃないかな?
 
 
ってなってくると、じゃあ一番大切なのは何だってなると、
「自分が幸せになれることをやる」
なんだろうなあ。
 
私は外国語学習が好きだけど、きっと「語学の天才」みたいなのではない!
もしそうだったら心の成長がどうだろうがすでに数ヶ国語操って仕事していると思う!
 
でも、楽しいからイタリア語をやるし、ほんとに好きなことはどんなに忙しくても、人間、気づいたらやっているらすい。
(この、特に1ヶ月くらいのカオスのなかでもイタリア語だけはやってた。)
 
でもそれで、まかり間違って日伊通訳なんかやるようになったら、いつか日本とイタリアが戦争を始めてしまうような、ものすごい誤訳を、きっとやらかす!
 
そう、「やらかす」んだよな。
今まで、「やらかす」自分に戸惑ってきて、こんなはずない、ほんとはデキるはず、と思ってきたけど、「やらかす」のはどうも仕様らしい。
 
 
これからの課題は、今までだったら、
「あ、で、できなかったんだ! どうしよう、できるはずなのに、できないなんて、焦焦焦焦焦」
というスパイラルに入ってところを、
「あ、私はこれができないんだ、そして、できなくても別にいいんだ」
と思うように、訓練しよう。
 
とりあえず寝る。