SYSTEM OF A DOWN/Chop Suey

コメントありがとうございます。
ずっと放置でごめんなさい。
ひょっとすると今回はおへんじもできないかも知れません、ごめんなさい。
でもみなさんがコメントで書いてくださったことはほんとに嬉しかったです。
そしてまた、色んなヒントになりました。
 
 
SYSTEM OF A DOWNの"Chop Suey"を聴いてて、突然悲しみが噴火したことがあった。
ここで。

why have you forsaken me
in your eyes forsaken me
in your thoughts forsaken me
in your heart forsaken me

ここのyouは、歌詞の前のほうに出てきますが、"father"です。
ただ歌詞全体を読むとこの"father"は神のことだと思いますが、冒頭の歌詞がやたら家庭の風景だし(いや、そんななごやかなものじゃないが)、聴いてるだけのときはこの"father"は父親のことだと思っていた。
で、そう思って聴いていて、あるとき、あれは去年のいつだったか思い出せませんが、↑の部分になって、泣き崩れたことがあった。
父親という解釈で聴いていたので、そして"me"の性別も判らないので(ってか性別でいちいち訳しかえないといけない日本語はほんとに嫌いだ)、こういう感じで聴いてた。

なぜ僕を見捨てたの
見てくれなくなったの 僕のことを
考えてくれなくなったの 僕のことを
気にかけてくれなくなったの 僕のことを

 
"forsake"という単語が、これ以上ないほど私の痛いところ直撃だったのだろう。
また、いちいち"your"が出てくることで、いちいち相手(父親)の(擬似的)視点に中心が移動するので、相手の視界、相手の脳内、相手の心、とリアルに感じることができ、より「見捨てられた」感が増す。
 
しっかし何で私のなかで「父親に見捨てられた」ことになっているのだろう?
たまりにたまった何らかの(ネガな)気持ちがあるのは確かだし、私が男性が嫌いなのも父親が原因だろうし、かと言って対外的にはあまり目立った欠点のない人だし、ひょっとすると、そうだ、表層の「怒り」は、奥では「悲しみ」や「訴求」であることが多い、きっと「見捨てられた」という恨み、そう、これはTOOLの"The Grudge"という曲名を見聞きするたびにこの"grudge"を、父親に対して持っているのを自覚するのだ、"grudge"は辞書でひくと、
「恨み、遺恨、怨恨、悪意、((時に想像上の)不当な扱いに対して長く抱く恨み)」
とあって、まさにこのままのものを私は心に抱いてきたのである。
 
しかしそれはきっと人生のどこかの時点で、恐らく幼少の時点で、ひどく「見捨てられた」と、もう奥の奥でそう思ってしまったことが表層で形を変えgrudgeとなっているのだろう。
 
 
しかし、このgrudgeやら何やら、私が抱き続け、また外部にもほとんど出したことがなかったこと、そして、その延長で自分で全部決めつけて抱えこんで処理しようとしたこと、しかし、結局それは「放置」となって、おかげで、まあ、ちょっと衝撃的な事態になってるのですが、あまりに自分がひどい人間だと思うので、書きません。
 
麻痺させて感じないようにするが吉、という、人生の暗部のような、そういうものが、またひとつできてしまい、ほんとに何か、重さ以外は感じないんだよねえ、私だけでなくうちの家族全体の暗部でもあるんだが、結局私ひとりだけ「また」早く気づいてしまっていたので、私ひとりだけ「放置してしまった期間がとても長くなった」。
 
今は主にその事態が金銭的痛みという形で押し寄せてきてはいるのだが(とは言ってもまあそこまでたいした額ではないですが)、これからどういう形で私は数ヶ月の放置の罰を受けるんだろうねえ?
しかし、さっきも書いたように、今は罪の全貌も、私の心では感知できない状態。
わざと麻痺させてるからね。
 
 
これ以外にも、何だろうねえ。
まあいろいろありますが、腹で「いやだ!!!!」と思うことがあって、それと対峙するかどうか数週間で決めなければならんのだけどさ、もうほんとにいやなんだよ。
 
だからさ、音楽しか癒すものがないってこった。
 
つか、ほんとに大殺界ってあるんじゃないかと思うくらいここ最近ひどいwww
あ、ひとつは判ってるんです、去年の10〜11月に一個、何かが壊れたんです、自分のなかで、で、それは、政治関連、てか日本の将来関連。
それ以来どうしてもできないこと、というのがいくつか出てきて、ずっと、「11月あたりから」というのは判ってたんだけど、昨日かおとといか、ふっと、判ったんだよ、それが、政治と関係あることがね。
 
もう意味不明だから意味不明なまま書くけどさ、私は麻生さんが一番好きな政治家ながら、彼が首相をやっていたころは政治から離れてたんです、で、去年の衆院選挙のときも、悔しさとか、まああったけど、そして、絶望もあったけど、ほんとにどのくらい自分があの選挙結果にダメージ受けたかは、数ヶ月経って、あの悲劇があって、そのあとしか判らなかったわけ、自分がほんとに何を感じてるか把握してからは何度泣いたか判らないわけ、そのあいだに、壊れちゃったんだよね。
 
いや、別に悪いことではないと思うけども。
と言うのは、壊れたから判ることがある、ってのと、今の職場での忙しさってのは、自分がもっと職場で、そして社会で役に立つ人間になろうと決心したことから導かれたと思うし、だから、進路としては全く間違っていない。
 
つか、壊れたまま邁進する人間の恐ろしさを思い知れとwww
って誰に言ってんだろな。
 
 
まあともかく、放置はいくないよ。
でもどうしてもできないことはできないんだよね。
最近はさ、ってか昨日からなんだけどさ、「自分の快適さ」ってのを常に尊重しようと思っってるんだよね。
自分の快適さを尊重せずして、他人の快適を尊重できないだろうと。
いや、そんなカッコイイ理由、は、まあ、ゴールとしてはありますが、今はただ、私はこれまでいったいどれくらい自分のほんとの訴えに耳を傾けてきたかなと、思うと、いつも自分に鞭打つだけのような人生でしたから、今からは「なに怠けてんだ」とか「なにわがまま言ってんだ」とか、今までオートマチックに続けた鞭打ちを、やめようと。
いや、やめよう、と言ってやめられるもんじゃないけれど、まあ、自覚しただけいいかなと。
「自分の快適を尊重しよう」とね。
 
あと、最近よく判ったのは、私は「人に肯定される」とか「人に愛される」ということが、ほんとに、まったく「理解できない」らすいということ。
それはきっと前述の"Why have you forsaken me"からきているんだろうけど。
ギヴアンドテイク以外で人間関係が成り立つというのが、やっぱりまだ判らないのだ。
ほんと、「判らない」って感じなんですよ。
全然判らないんです。
??????
「こっちが何かしないと」反感を持たれるだろうとか離れていくだろうとか、そういう理解しかできないんだよねえ、これはまたガチで取り組む必要があるテーマだな。
 
ま、いずれにせよ、罪って償えばいいんですよね?
自分のしたことに向き合えばいいんですよね?
もう何もしたくないと、何もできないと、ベッドのなかで横になるだけが人生の希望みたいな、いつもどこかで「そうなるかも」という想像を頭に持ちながらも、でもこれまでのように表面上は何も判らないような感じでやってけばいいんですよね?
 
うーん、ネガになる気はないんだが、何かよく判らん。
 
いや、ほんとにネガになってはいない。
だから心配は無用なんだが。
 
というわけで、今考えていることの断片でした。