hide Memorial Summitを途中まで観て

X JAPAN(以下X)単体のファンの方は読まないほうがいいと思う。
 
 
5/5に、WOWOWで5/3・4と行われたらしい「hide Memorial Summit」が放映されたが、さっきまでその録画を観てた。
(途中で中断してここに書きに来た。)
 
メンツはこんな感じ。

■08/5/3(土)
出演
hide with Spread Beaver
T.M.Revolution
DJ OZMA
RIZE
マキシマムザホルモン
hurdy gurdy
Phantasmagoria
Versailles
MarBell
DaizyStripper
 
■08/5/4(日)
出演
X JAPAN
LUNA SEA
Dir en grey
OBLIVION DUST
MUCC
D'espairsRay
the underneath
heidi.

 
WOWOWが派手に広告を打ってたので、録画することができた。
基本的に自分のためでなく、頼まれたわけでもないけども、友人石塚(仮名)のために、と思い。
(ちなみに、石塚はよく話に登場するが、彼女がここを見ていないから登場させるだけで、本人が見ていたらこんなに話に出さない。)
 
内容はよく知らなくて、トリビュート的にやるのうかのう、と思ったけど、hide with Spread BeaverもXも出演と判って「???」となった。
が、このふたつのバンドは、スクリーンにhideを映し、それに合わせ(?)演奏するという感じだった。
hide with Spread Beaver、のほうは、歌とギターの主要なところががhideちゃんだから、それに生きているメンバーが合わせているのは判ったけど、XのほうもPata以外にhideのギターの音を出力させてたのか? 疑問だ。
 
それはそうと、hide with Spread Beaverのほうは、純粋に、石塚にこれDVDにおとして渡そう♪ と思えたけれど、Xの段階になったら、なぜか、それが単純にいいことなのか判らなくなってきた。
 
石塚は、去年の秋に、「自分がhideちゃんの年を越えちゃった」という事実に、またあのころの、彼が亡くなったころの状態がフラッシュバックしていると涙ながらに語っていた。
亡くなってから、ほんとに長い間音源さえ聴けなかった、最近やっと音だけ聴けるようになった、と言っていたから、このsummitの映像も、hideがスクリーン上とは言え出るという、まあ、心憎い演出だから、彼女は観ることはできないだろう。
が、こういうイベントがあったこと、そして、いつか、観る決心がついたときに映像が手元にあることが重要だと思い、DVDにおとして渡そうと、まあ、そういう経緯で、この番組を録画したわけだけど。
 
  
こっからはXに関する、私の本音が出るのでファンの方は読まないこと推奨します。
 
ともかく、録画を観ていて、LUNA SEAが出たのがよくなかったのかも知れない、LUNA SEAに続くX、では、「集金」というキーワードが前面に出すぎじゃないか!
いかにLUNA SEAがX後続の最重要バンドのひとつとは言え、どうしても、「集金活動!」というスローガンが見えてしまう悲しい私。
LUNA SEA自体は好きだけど。)
 
そのへんから、X登場の流れで、登場前、メンバーの名前が読み上げられたが、最後に読み上げられたのがhideちゃんじゃなくてYoshikiだった事実に、何か、……やっぱ公共の場ではほんとの本音は書けんな、ともかく、石塚にこの映像を見る可能性を渡しておくことに意味があるのか、判らなくなった。
 
彼女はXも、まあ、好きだったけど、それはhideちゃんがいたからで、あの音楽シーンに、Xではなくhideちゃんの影を追うという心理は、私も彼女から少し受け継いでいる。
だからかも知れんが、Xには「高校のころに聴いていた」というノスタルジー以外に感じるものがなく、また、Toshiの歌い手としての力量にもずっと疑問を感じてきたし(それこそYoshikiが自分の「曲」を引き立たせるために選んだ人材ではないかと思えるほどに「歌」としては弱い、まああくまでも私の感じ方だけど)、summitを観ていて、懐かしい曲はそれはそれでいいものだけれど、そして、Xの、時代を振り返っての存在意義はもちろん否定するものではないけれども、そして、hideちゃんは、確かに、Xというバンドにいて、そのステップがなければ、ソロになったあとのあの活躍はなかったかも知れないけど、それでも、何かがひっかかる。
 
あれは、「hide」のメモリアルイベントなのか?
 
 
X、と言うかYoshikiの功績と言うのは、ピアノ(クラシック)とロックを融合させたこと、なんだが、それは海外でも行われているから新しいものではない、何が他と違ったかと言うと、クラシックとロックと、そしてヤンキー文化を融合させたことだ。
やっぱり、XがなければLUNA SEA(ここもまたクラシック(バイオリン)とロックとヤンキー文化の融合をやった)は生れなかったとも思うし、Xというバンドの功績は否定できないのだけれども、自分の中で、Xの功績と、hideがかみ合わないんだよなあ。
 
私ははっきりと、「Xのファンじゃなくhideのファンだった」と言うポジションの人なので、hideがXにいた意義があまりに自分の中で薄れすぎてるってのも意識してる。
何せ、ZILCHが登場したとき、草の根的に海外ミュージシャンと一緒にやっているhideの方向性は正しいんじゃないか、Xみたいに、最初から大々的に商売としてアメリカに進出するとか、そりゃ、違うんじゃないか、とか思ったんだが、このとき、hideちゃんがXの一員であることを正直忘れていたくらい、私にとってはhideちゃんは「ソロアーティストの」hideちゃんなんだよなあ。
 
それだけのことかも知れないのだが。
今感じてる違和感が去らないのは。
 
正直、ビジュアル系は門外漢なんで、ほんと、勝手なことほざいてる、と思ってもらったほうが私もラクなんだが、ともかく、今色んな気持ちが渦巻いている。
 
 
ただ、ともかく、死んだらいかん。
ほんと、これだけは言える。
病死だろうが事故死だろうが自殺だろうが、死んだらいかん。
10年経ったからってまだ何も風化しちゃいないと思う。
いい意味でも、悪い意味でも。
 
まあ、「意味」づけなんて生き残った人間が勝手にやってることだから、純粋に、hide的には無意味なことなのかも知れない。
が、生きている人間は、この「意味」から逃れることはできない。
それを思うと、やっぱり、先に逝った人のことを、空に存在する星や光として仰ぎたくなる。ただ、輝きとして、生きている人間に理解できる「意味」を超越した存在として。
 
 
何かもう意味不明だがupしておきますw