Identity Crisis

な時期に入っている。
 
ただそれは、ここ最近色んなことが(表面上)解決してきて、人生がラクになった時期がけっこう続いたので、その過程で自分を取り巻く環境が(いい方に)変って、でもその新しい環境(段階)で起きる出来事に、まだ対処できないことも同時に判ってきて、これまで何をやってきたんだろう、ってか、あれだけがんばっても自分は変らないのだろうかとか、これからまたがんばっても何にも意味がないんじゃないだろうかとか、そういうことを考えてしまう時期と言うか、つまり、トンネルの中な時期なのだと思う。
 
今ぶち当たっているのは、やっぱり自分を受け入れられない、ということだと思う。
昔に比べれば、本当に改善はしているのだが。
それでもやっぱり、私は自分のいいところしか受け入れたくないのだと思う。
勉強ができた自分。
言葉の才能がある自分。
小学校のときのIQテストで、学年、だけでなく学校全体で一番IQが高かった自分
とか。(3番目は無邪気にけっこう自慢だが、人に言ったことはないw)
何か、知的な部分だけに偏っているのも、また、自分の特徴のような気がする。
(でも本当はあんまり頭はよくない。時間の流れが把握できなかったり、ひとつのことに少しでも意識が向くと、他の全てがとんでしまって、忘れ物、うっかり欠席などが多い。メールも、返信したと思い込んで出してないことがけっこうある。)
 
昔に比べれば、というのは、例えば、私は、ものすごく感情の振れ幅が広いのだが、これが、ずっとずっといやで仕方なかった。
感情的なのは「悪いこと」と思っていて、世間的にもよくないこととされている気がするから、ってか、たぶん、↑で書いたように、知的な事柄を重視する価値観を持っているので、それと相対すると認識される感情が豊かであることが、自分がバカなような気がして、いやだったのだと思う。
でも、今年の、いつくらいか判らんけど、いつからか、感情が豊かな自分っていいかも、と思ってから、そういう自分が受け入れられるようになったし、それからのほうが、普段の生活で、さらに感動することが増えた。
ライヴでも、昔よりさらに感激度が高くなった。
あとは、↑で書いたように、ひとつ特殊なこと(言語関係)には才能があるのだけれども、その他の実務的なことは全く頭がよくないということは、昔は認めたくなかったけど、今は「まあそういう脳だから」と受け入れている。
会社では、本来の仕事(翻訳/通訳)では(まあ派遣=気を遣われているというのもあるのだろうけど)、評価されているけど、毎月一度、派遣元に勤怠表を提出する日、8割がた同僚に「今日勤怠の日ですよ」と言われないと、勤怠表を作成するという業務が思い出せない。
また、記入もれ・間違いがかなり多く、実務的なことは、欠陥があるのではと思うくらいできない。
(数回失敗を続けると、いちおう学習する。2、3回では学習できない。学習しても、また時間が経つと同じ失敗をする。)
けれど、それはまあ、受け入れた。まだ敗北感(笑)はあるけど、「ぬけてる自分、いいかも」と思えてはいる。
 
しかしそれでも、「あなたの価値を言ってみてくださーい」と言われたら、やっぱり私は知的な長所を挙げるのだと思う。
でも、個人の本当の価値って、そういうことではないんだよね。
ってこれが判っただけでも大進歩なんだけどね。
例えば会社で、人間的に尊敬している人がいるけど、その人は慶応卒なんです、でもそういうことってどうでもいいなと、その人を見てると思えるんだよね。
(尊敬しながらもいじめてるけど。)
 
うーん、書いてて判ってきたけど、「改善する」ことに目が向きすぎていたのかなー。
「受け入れる」のがキーワードなのだとしたら、改善しない自分を受け入れることこそが、答えなような気がするな。
つまり、そういうことのような気がするな。
それは向上心を捨てるとかそういうことではなく。
 
あのね、私の、「自分を変えたい!」旅の出発点はね、ちょうど6年前くらいに、当時付き合ってた人と、当時の同僚が、同じことを言ったのがきっかけだったんだよね。
「失敗してる自分も最高! と思える」
という。
もうカルチャーショックと言っていいくらいでしたよ、彼らのこの言葉は。
 
でも、やっぱり、原点はここなんだろうなと思うし、やっぱり、これこそが到達点でもあるんだろうなと思う。
がんばってきた自分、とか、がんばってる自分、とかじゃなく、ただここにほへーんといる自分を受け入れる、という。
 
答え見えてきたので昼飯にします ノシ