誓ひてなほ旅に出る

無茶な、人生でした。
世の中にはもっと無茶な人もいますが、自分は、自分なりに、無茶なのであります。
複数の、好きな楽団のため、日本各地、旅をいたしました。
友がいたときもあれば、ひとりのときもありました。
しかし、常にon the run、まあ、常と言うと、ほんとに常な人に怒られますが、自分は、自分なりに、常にon the runだったのであります。
 
無茶ですから、四週続くアウトレイジ楽団の各地公演日程のただなかに、温泉旅行が組み込まれております。
同行者の都合に合わせてしかたなくではありながら。
夕食後、同行者らがカラオケバーに去ったあと、私は部屋に残って外を眺めておりました。
好きな楽団の曲を、小型再生機で聴きながら。
湾岸道路が見えました。帝都方面にあるような、立派な代物じゃござんせん、しかし、自動車の往来が放つ光は、自らの過去を顧みるには十分でございました。
未来は常に不確かなのですけれども、このたび、自らの進む道が心のなか、はっきりしました故に、自動車の往来を眺めながら、逆の誓いをいたしました。
今後、自分はさらなる無茶道に出るのですけれども。
無茶ができなくなることもあるやも知れません。
それでもいいのかと。
無茶を遂行できたとしても、無茶における寂寥感につぶされぬ強さはあるかと。
問いました。
私はもう、存分に、無茶をしてきたのであります。
湾岸道路の光に、過去のさまざまな出来事を思い出しました。
主に、人と分かち合った、よき時間のことでありました。
過去を思い出すにつけ、もう十分に、よき時間を過ごしてきたという感慨にふけりました。
 
私は過去、十分に幸せだったのであります。
 
ですから、もし今後、二度と楽団のために旅をするとか、二十年来の友と宿泊先で語り合うとか、そういった、特別な時間が持てなくても、もう、大丈夫なのであります。
そういう決心を、アウトレイジ楽団の各地公演の谷間でいたしまして。
もう、明日には、また無茶の旅に出るのですけれども。
何らかの理由で、二度と旅に出られなくなっても、私は十分である。
そういう思いを、持ってこれから、生きていくのであります。
それが私の、誓いであります。