不安や怒りの源泉

誰でも、日々あらゆることに不安になったり、あらゆる対象に怒りを感じるが、それらはすべて、必ずひとつの源泉から発している。 
 
私は5年ほど前まで本当に怒りっぽく、まさに自分の中に「龍」を飼っていると言っていいほど気性が激しかった。
ある理由から、この「龍」はもう消滅したか、あるいは存在しても「たつのおとしご」くらいなレベルに収束したのであるが、それでも、根本の問題には気づいていなかった。
 
ひとりの人のなかで、根本の問題というのは必ずひとつだ。
これを知ったのは去年である。
その後、これが根本の問題だ、と辿りついた気がしたことが何度かあったけれど、それは核心をかすっているに過ぎなかった。
 
日常で、不安や怒りを感じるのは不快だが、ひとりの人はだいたい同じようなシチュエーションで不安になったり怒ったりする。
それはつまり、その人が反応してしまう事柄に共通項があるということで、つまり根本の問題がひとつであることの証明だ。
自分がどういうとき不安になるのか、怒りを感じるのか、分析してみると、だんだん自分の「スイッチ」がいつ入るのか判るようになる。
そして、「根本の問題」の発見も、そのすぐ先にある。
 
私は数ヶ月、「私は評価されない」と思い込んでいるのが根本の問題だと思っていたのだけれど、これにはひとつ要素が欠けていることに、最近気がついた。
 
何が欠けていたかと言うと、「私がだけが評価されない」という、「私だけが」の部分だ。
「評価されない!」だけでは足りない。「私だけが損している!!」という強い恨みと怒り、それは「私だけが不幸だった」という悲しみの裏返しであり、ここを癒すのが答えなのではと思っている。
(実際に、人生の初期段階の私を取り巻く状況は、特殊な状況だった。だが世界一不幸な境遇だったわけでは決してない。)
 
あと少し、かな。
友人や相方と話していて、「失敗しても自分が好き」なんて気持ちがこの世にあるのを初めて知って、「今は自分が大きらいだけど、いつか自分を好きになりたい! 変りたい!」と切実に思ったのが5年半まえくらい。
変るきっかけがいきなり起ったのが5年まえ。
それまで嫌いで嫌いで仕方なかった自分を、「私が抱えている負の面はある種のハンディキャップである」ととても暗い感じだが初めて受け入れる態勢になったのが1年半まえ。
ほんとうにやりたいことのため、自分の持つ問題と最大の苦手を克服しようとしたのが1年まえ。
 
まだまだ、「○○さんは私を評価してくれない!」という怒りを感じたりするし、今ほんと〜にしんどいんですが、あと少しだ。
怒りを感じる→それは思い込みだと自分を諭す
をくり返すのがね、しんどいんですがね、何にしろ、あと少しだ。