共有できるのは出来事まで

ここ数ヶ月、重要な教訓を得た。
 
他人と思いは共有できない。
 
むしろ、共有できると思っていた私が大きな勘違いをしていた。
共有できるのは出来事までで、それにどういう思いを抱くかは、まさに千差万別で。
 
もちろん、ときに理想と言えるほどに思いを共有できるときもあって、そういうときはほんとに嬉しいね。
 
あと、思いの「語り方」にも気をつけねばならん、と痛感した。
出来事についてひとまず報告せねばならんのに、そこにこっちの個人的な思いを交えすぎると、報告されたほうは、出来事だけでなく、こっちの思いへの反応を強いられる。
これはけっこううざいだろう。
先日中、まさにこの失敗をやらかして、ってか、この失敗で判ったから、よしとしようか。