1年経って

SLAYER再発作品の対訳やるよ、って話のときに書いたか忘れたけど、「そのうち歌詞対訳の仕事お願いしますよ」みたいな話が最初に出たのはある打ち上げの日で、その話を一番最初に報告したのはSatooさんであった(SUNS OWLもこの日のライヴに出演してた)。
あれから約2年、そしてSatooさんが亡くなってから今日でちょうど1年。最近決った話で、Independence-Dで某レコ会社のお手伝いをすることになり、勿論「人生ってこういうことあるのねー」って感慨深くもあるが、同時に、「でもSatooさんはいないんだなー」と思った。って、SUNS OWLは出ねえだろ、ってことじゃなくてさ、自分が音楽関連で裏方の役目を担うことになった今、Satooさんはいないんですよ、この寂寥感に似たものは多分わしが音楽にかかわる限り続くのだろう。
が、それでいいと思っている。わしを見かけたら「あ、お母さん(←何か知らんがこう呼ばれていた、別に個人的に親しかったワケじゃないのだが)」と声かけてくれてたであろうSatoo氏がいないことで……まあともかく、これでいいと思っている。
   
今日語るべきことって何なんでしょうね、ずっと、「いつか『Satooさん、こんなおもろいことゆうてた』ってネタをどっかに書こう」と思いながら、結局書かなかった1年、この1年のことは……いや、逆に、今日だからこそ、思う存分語れるよな、Dimebagg Darrellが亡くなったとき、Philip Anselmoは「世界が変ってしまった」と言ったが、うちらにもそれは起ったんだよ、1年前の今日にね。「世界を変えた」出来事について語れないはずがない。本当の思いは決して言葉では表せないが。
Dimebagg Darrellのときも思ったが、誰かの死だけが残された人間たちの結束を強める。結束と言うより、意志の確認と言うか、同じ人を死を悼むのを見て、「この人も自分が通ってきたとこと近いところを通ってきたのだろう」って発見だね。勿論それだけで判り合えるなんて青いこと言うつもりもないけどさ。
まあいいや。やっぱ言葉でなんか語れねえって、って言葉使ってメシ食ってる人間にあるまじき発言であるが、広辞苑9冊も使いつぶすような小説家じゃねえんだし、特に音楽ってものにかかわってる以上、言葉の無力さは何度も感じてきてるからね。まー、一周忌も大事だが、自分としては、翌日に逝去を知ってからの方が大変だったワケで、「1年前の今頃は通夜か……」なんて思ったとき、また何か書くかも知れない。