純化されて最後に残る言葉

まえ、櫻井敦司氏が「死んだ母親と訣別する歌」と語ったという"胎児"という曲で、「愛してる」という歌詞が繰り返される理由が判らない、と書いたんだけど。先日、やっと判りました。
「極東I Love You」ってアルバムの"Long Distance Call"、この歌詞読んでて、判った。

聞こえる 聞こえるかい もう眠っていたんだね
そう 大事な話なんだ 笑い話かも ああ…
聞こえる 聞こえるかい もう少しこのままで
もう しばらく会えないんだ おやすみだけを
この電話 最後に じゃあね…
愛しているよMama 他には何も無いさ
愛している 愛している 他に何も
愛しているよMama もう上手く話せないよ
愛している 愛している 他に何も…

「大事な話」と言って、「愛しているよMama 他には何も無いさ」と結ぶ。「愛してる」という言葉だけが、伝えたいことなのだろうと。
全ての雑念ひきはがして、痛みひきはがしたら、残るのは「愛してる」という気持ちだけなんでしょう。
母親を亡くしたあとに作られた「狂った太陽」からの歌詞を全部読んでみると、櫻井さんは、愛する人を亡くした状況を嘆いて呪って("MAD"、"太陽ニ殺サレタ"、"誘惑"等)、逝く側の視点で歌詞を書いて死を擬似体験してみたり("Die")、生死を対比させたり(アルバム「Cosmos」のコンセプト)、いつか会えると信じたり("Loop"等)、夢では会えたと信じたり("Tight Rope"等)、亡くなった人のいない「こっち側」で生きることを覚悟したり("鼓動"等)、それをすまなく思ったり("鼓動")、死は神になること、祝福されるべきことと定義したり("Idol")、いろいろいろいろして、辿り着いたのは、「愛してるよ 他には何もないよ」というところだったのでしょう。
だから、"胎児"で、「訣別」の言葉と思われる「今夜僕は飛び立つんだ」と「愛してる」が矛盾せずに成り立つわけだよ。
ただ、わし的には……最後に残る言葉は、「ありがとう」のような気がするけどね(櫻井氏も"Loop"で「感謝したい 心から 太陽と 水と 空気と あなたに」と書いてるけど)。恋愛とかでも、結ばれようが結ばれまいが、相手に対する気持ちが感謝に帰結する、そういうのが本当のいい恋愛だと思ってるのだけど。