ただ単にしんどいからやらないだけなんだよな

さて、一応音楽配信メモとThe Trembling of a Leaf(すんません、リンク貼るのめんどくせえ)だけまた毎日チェックすることにしたわけだが、おととい両サイトの6月中旬から現在に至るまでのログを読み、やっぱり疲労した。まだ、高橋健太郎氏のとことか読まなきゃいけねえんだが、そのうち。
で、さっきも書いたけど、疲労するんだよ。理解力がねえってのもあるし、法律方面に明るくねえってのもあるけど、ともかく、レコ協、JASRAC文化庁、立ちはだかってるものが多すぎ、そして厄介すぎてなー。
だから自分は6月中旬以降、別の方向に行ったんだと痛感したよ、既存のものと闘うんでなく、もう何か作っちまえと。結局、自分でアイディア出す段階ではまだないと思ったし、ほんとに行動起したのはわしじゃなく周囲だったワケだが、普段からつるんでる音楽仲間と話すときの楽しさと言ったら。
楽しくないことは、金をもらわない限り、やらなくてもいい。ってのが最近のわしの信条だし、はっきり言ってそれでいいと思っている。そう思って、正直もうCCCDに関して考えることも、Watchdogがどうのって追ってくのも、やる必要ねえよな、という結論にもいきそうになる。
けど、ここでうだうだすると、数年後にさらにひどいことになったとき後悔するのは目に見えてるし、(依田氏のちょっとした失墜を見て判るように)勝算もねえワケじゃねえし、知財がどうのって流れを、一応翻訳を仕事にしてる人間が放っておくワケにもいかねえし、と。
だったら楽しくするしかないんですけどね。……んー著作権法改悪騒動の頃を振り返ると、そのときは大変しんどかったのだが、今思えば、あそこで結束固くなった人脈もあるし、あれがきっかけで知り合った人もいるし、得たものはめちゃめちゃでかかったんだよな。それは勿論それなりに心入れてあの問題に取り組んだからだけど。しんどいしんどくないカンケーなく。
あーでも、ほんとに身になった出会いとか結束って、あの問題の渦中でも、自分が力抜いたときに起ったってのも事実だな。事前、「輸入権について語りあうことになると思われます」とか言ってた呑みも、結局一言もその話題が出ず、ひたすら爆笑の一夜だったりな。
てことで、やっぱ、笑い飛ばしつつ取り組むことといたす。がはは。