ひとフレーズのために行ったライヴ

最後に追記あり
 
 
先日中、メッセをくださった方やリアルでお会いした方や声をかけてくださった方々、ありがとうです。
どうにも浮き沈みが激しく、対外的には極めて普通に振舞っていますが内側は何とも形容のできない砂漠、嵐、カオス、いや、どれでもないかも知れないけれど、自分で自分が非常に心配であります。
 
が、不調を自覚してるとか、心配になるとかなら、まだいいのかも知れん。
よく判らん。
ただ、心配しつつも、同時に、過渡期だから大丈夫だろうという確信もあり。
 
思っていることとか自分の心の状況とか、みなまで書く必要はないし、今の状況だと、かまってちゃんと思われるとか、この人は一生こんなんでしょ、もう秋田とか、思われるかなあと懸念していたけれども、別にそう思われるなら思われとけ、こちらはあくまでもありのままであり、ただただ援軍もなく、いや、援軍が来ても自分から手を引っ込めてしまうのであり、もうそういう自分を引き受ける覚悟はできた。
そしてまた、あがいた形跡を残すのには明らかに意味があるということを、自分が他人のあがいた形跡を辿って、骨身に染みて判っているので、私が何を理由にあがいているのかってことは重要でなく(と言うか実際自分でも判っていない)、ともかく、気が向いたときには、ここに形跡を残そうと。
 
 
金曜、会社に行ったけれども理由も判らずだんだんだんだん気持が落ち、当然仕事なんて極めてスローにしか進められないし、昼前、休憩にいったとき、休憩室に置いてあるテーブルに突っ伏して動けなくなって、あ、これはもうだめだ、と思ったので、早退。
 
体の不調はあるていど受け入れられても、心の不調には理解を得られない現代日本社会であるから、精神的に不安定なことの多い私はまあ基本的に落伍者なのだけれども、それはともかく、帰宅しても親がいればまったく落ち着けるはずもないので、行けるところはネカフェしかない。
 
 
私は、事前にライヴに行く予定を入れておいても、当日になって気が向かなくなる、ということがままある。
この日はSUNS OWLの新作「Over Drive」のレコ発で、従来ならばあれだけの心の不調だったので「マンドクセ」となって行かないところだったと思う。
んだが、SUNSの新作に"Spirals"という曲があって、この曲の、
「気になるのか 怯えているのか 縋る様な目で見ていた」
という、たった1度だけ出てくるフレーズの歌メロが、どうしても、どうしても、聴きたくて、必要で、まさに、「これだけのために」絶対ライヴに行こうと思って、行った。
(私は歌詞を重視するほうだがこのフレーズに関しては意味は何も考えていない。けれどアルバム中でもこのフレーズの歌メロは一番のハイライトとなっているくらい心つかまれているのである。)
 
 
「ライヴのかんそう」と言いつつ、ライヴの感想自体はあえて書かないけれど。
(思ったことは自分のなかにしまっておきたい。でもあくまでも感じてたのは現在、未来のことだ。)
(それと、ほかのイベントと重なったりで、客入りが少なかったけれど、それに関してドラムのGoさんの言った「人は少ないけれど集ってくれた顔は少数精鋭って感じだね」という言葉に、私は胸を張って言う、そうだ、私も少数精鋭のひとりさ、過去より、何より、今ここにいる精鋭のひとりだ。)
(ってか、うん、ほんとどう書いていいか判らんな、ただ、心に得られたものというのは、ロブ(MACHINE HEAD)からもらったものに近かった、ということだけは言える。)
 
 
で、ライヴから2日経って、ふと思ったんだけれど、私がライヴに行った理由、"Spirals"という曲のひとフレーズ、って話だけど。
思えば、
「たったひとフレーズで、ひとりの人間を動かした」
ってことなんだよ。SUNS OWLが。
 
これって考えてみるとめっさすごいことだよね。
自分でもなぜあのフレーズがそこまで好きなのか、よく判らないのだけれども、あらためて、何かを作り出す人たちへの感謝とその行為の……何だろうね、デカさ、かな、そういうものを認識したのだった。
 

追記
どうしても聴きに行きたかったひとフレーズについて、ずっと「フレーズ」と連呼してたが、正しくはその「歌メロ」に心つかまれているのであるので、本文に「歌メロ」という単語を追加した。