Tiziano Ferro/Mai Nata

7月にOUTRAGEを観てからたまに彼らのライヴの夢を見る。
まだぐちぐち言ってんのか、って感じだが、やはり夢を見るとラウドパークに行かないのは悔やまれるけれどもまあOUTRAGEはそのぶん新作発売後のライヴをがんばろう。(元気なら。)
 
 
関係ないけど私はたぶん結婚もできないし正社員採用もしてもらえないだろうし、貧困のなかで死んでいくと思うのだが、それをまだ受け入れられない。
ってか、悲しいことに、貧困のなかに死んでいく人が、これからどっと増えるのだろうな。
あ、みんすがどーのということだけではなく、それ以前から、その兆候は確実であり、何とか、「瞬間瞬間の楽しさに意識を集中する」方向に意識を変えようとしているのだが、何とも言えず切なく、落ち込む。
 
私はどうしようもなく未来依存なので(○○をやると未来が明るくなるから、と思って強迫観念的に○○をやる、というattitudeでずっと生きてきた)、それを依存でなく健全な夢とか計画に変えるのがとても難しい。
瞬間瞬間の楽しさに意識を集中する、というのは未来依存からの脱却のひとつなのだが、しかしやっぱり未来に光がひとつもない状況が、国民のほとんど(?)に迫ってきている状況だと、楽しい気持を持つのが難しいんだよねえ。
 
ポジを保つのも疲れるし、でも自然に任せて落ち込むとさらに疲れるし、まあこういう時期というのは時間が経てば過ぎ去るのだし例えば正社員になれないだろうというのも私の努力次第でいくらでも変ると頭では判っているのだが、希望を持つのがめんどうだ。
 
あ、こんなんなんで、イタリア語検定はとっくに諦めています。
先日偉そうなことを書いた気もするが、私は必要以上に我慢強いけれどもしかしそれは健全な強さとは全然違うので、結局何も成さずに死んでいくと思う。
それでもなぜか勉強はちょっとがんばっているのだが、やりたくない勉強はやっていない。
ほんとはやりたくない勉強も必要なのだろうが、だって、ディクテーション(イタリア語を聞いて書き取る)はCDを出すのがめんどいでしょ、長文問題は文章が長すぎて疲れるでしょ、文法問題は理解が後退しているのが鮮明になるのでやりたくないでしょ、ってなると単語まとめと精読(長文をノートに写して文章の構造を全部理解しながら読む)くらいしかやる気にならないんだよね。
 
にしても時間ってすぐ過ぎていくね〜、もう夕方だから、明日から仕事だよ。
まあその後また土日になるけれども、そのあとも仕事、昇給も退職金もない仕事。
働いている人の3分の1がこういった希望のない形態の仕事についている現代日本社会。
 
まあ、しかし、あれですよ、元気ないときはむりに元気出さなくていいんですよ。
相変らずたまに死にたいなあと思っているけど、まあそんなのみんな思ってるだろうし(でも昔の私は思っていなかった)、ま、普通でしょ。
時間が経てばこういう時期が去るというのは判っていて、きっとそのころに、こんなネガ大行進なことを書いたことを恥ずかしく思うのだろうけれども、逆に言うと、まあ、別に明るい日々が来なくてもいいですよ、刺繍は楽しいし、語学学習は楽しいし、音楽は素晴らしいし、いい友達をおかげさまでいっぱい得られたし、かわいいねこもいるし、まあ、そんな感じで進んでいくのも、それはそれで、いいんですよ。
 
あ、ってかさ、昔から読んでるブログの人がさ、鬱で薬を服用しているらしいんだよね、で、生きる希望が音楽しかない、と言ってるんだけど、私よりも絶対稼ぎもよくて学歴もよくて、という人もそういう状況に陥るのだな、と思うと、人間生まれながらの性質の設定に人生は左右されるんだな、ということをひしひしと感じるよね。
頭脳でも生れでもなく、性質だよね。
気概、ガッツ(笑)、強さ、というものさえあれば、そのほかはあまり関係ないんだと思う。
そうではない、ということに世間ではなってるけど、しかし、ほんとは頭脳よりも、家柄よりも、気概、ガッツ(笑)、強さ、だ。
 
イチローのような人はやっぱり奇跡でしかないのだ。