Tiziano Ferro/111 Centoundici

とりあえずたまに生きるのが大変辛いです。
さっきまでだいぶ瀬戸際でした。
この家族では、私ひとりが苦しめばいいんです。
 
あと、父親であれ、男性と暮らすのが実はかなり困難なことに今日気づきました。
今までほんとにずううううううううううううううううううううううっと我慢してきたんだなと判りました。
構ってちゃんになりたくないのですが、死にたいです。
基本的にそういう呼び声は奥底に常にあったのだけど、最近になって掘り起こすまで気づいてなかったのです。
人間の心ってすごいね。
ってか死ぬしか解決方法なくね?
 
でも最近になってやっと勝ち取った、ほんとにやりたいことを心ゆくまでやるということを、誰にも奪われたくないので、積極的に死にゃしないですが、でも、ほんとそれだけだなー。
ほんとに、今までどうやって生きてきたか判らないんだよ。
最近ほんと、不思議なんだよ。
何か、本来の自分とは別の装置を動かして生命を維持してきたとしか思えないんだよね。
 
 
今困っているのは、(家族に対する)怒りが沸点に到達すると、私は絶対本人らには言わず、自分を殴ったりします。
さっき久々にやってしまった。
(私はもう確実にメンヘラさんなのか? でもリスカとかは興味ない、ってかそういうのとは違う。)
まあでも今回は自分でなく、家具を手で殴ってしまった。
で、困っているのは、あさってイタリア語検定なんだよ。
右手で家具を殴ってしまったので、あさって字が書けるかなあ。
 
何か、こういうのって、やっぱり自分の一番奥底(ってまださらに奥底があったりしてな。人間の心は魔境だ。自分でも恐ろしくてわけが判らない)からの呼び声なんだよな。
「努力してもむだだあああ!」っていう、強烈なnegativity。
いや、こんなに情熱的じゃない。
もっと冷たい、「何おまえなんかが努力してんの?」みたいな感じの人が、最近これを主(ぬし)と呼んでいるのだけど、そういうのが、いる。
去年の秋くらいに気づいた。
 
まあそれはともかく、さっきもうどうしようもなくて最終的に号泣してたら、ねこが慰めにきてくれた。
泣いてるあいだじゅう、体をぴったりくっつけていてくれた。
動物でも人の心が判るのに、私の幼少の頃の危険サインを私の人格異常だと決め付けた両親は一体何なんだ?
 
ああ、やっぱり、もう死にたいよう。
ってか、語学をやりたいという、その気持ち以外の私は、すでにすべて死んでいる。
語学がやりたいということだけで世間の定義的に「生存している」という状態を保っている。
 
ともかく、こうして人は、また心を焼け焦がせながら時間を過ごすのだった。
 
(「時間を過ごす」は、ほんとは私のほんとに言いたい言いかたではない、ほんとは、英語の"do my time"というのが一番しっくりくる。
「刑期をつとめる」という意味だ。
結局私にとってこの人生は"doing my time"と同義だった。
あ、そう言えばこないだ、ものすごくいい話を聞いて、そのことについてたまに考えている。
それは個人的にもらった私信に書いてあったことなのでここでは書かないけど。
ともかく、ほんと、これからの時間、すべて、やりたいことに費やしていいんだな、と思えて、ものすごく励みになる話だった。
早く、"Did my time"と過去形で言えるようになれて、苦しみから解放され、好きなことに邁進したいです。)