B-T、各作曲者の特徴を考えてみた

昨日は「6時間B-Tのみカラオケ耐久レース」でした。
新作の曲が入ってると期待して行ったら、シングルの"Romance"だけで、「……もうB-Tって世間的にはだめなのかしら」と悲しくなったわしとB-T友の星野(仮名。もちろん星野英彦ファンなのでこの名前w)。いくら2人してB-T好きだからって、5時間半めくらいには、星野は「頭おかしくなってきた」とゆうていた。わしは途中で眠くなった。でも今日も元気にB-Tを聴いている。
昨日、わしは、「あ」から順番に、歌えそうな曲を入れていき、普段は絶対歌わん「Hurry up Mode」〜「Seventh Heaven」時代の曲なんかも歌い、改めて「おーこの曲やっぱいいねえ」とか思ってますた。そしてある程度時系列になぞって、B-Tの曲の変遷を考えることができた。
 
ところで、こないだも何かのDVD観ながら思ってたけど、彼らの曲の中で一番感動して「じーん」としてしまうのは"Bran-New Lover"って、1999年くらいのシングルである。歌詞もよいが、何より、イントロのギターフレーズが、ものすごく素朴に明るくて、よいのである。
ヘンな曲もいいんだけども、わしは結局今井くんの真骨頂ってのは、ああいう限りなくシンプルで素朴で明るく、しかしどっか儚いような、しかしやはり最後にはやっぱり希望持ちたくなる、心が解放されるような、そういうメロディにあると思う。
で、今井くんは元々そういう面で評価されていた人で(特に「Seventh Heaven」まで)、「メロディがいい。でも何か常識におさまらない曲展開」みたいな見方がされていたと思う。
で、その後「ヘンさ」が彼の一番の特徴になっていったんだけども、B-Tで一番認知度高いであろう"Just One More Kiss"にしたって、結局は奇をてらった曲でなく、ごくごく普通の曲である。そのあとも、例えば"Die"、"鼓動"、"Cosmos"など、ごく普通に素朴にいい曲ってのもやっぱり作り続けていて、さっき書いた1999年くらいの"Bran-New Lover"と"Glamorous"あたりで、非常に洗練された形でそういう「普通の意味でいい曲」というのを前面に出してきた感がある。
 
そういう意味で、昨日友人も言ってたんだけど、今井くんがヒデ化してる面があるんだよね、「普通にいい曲」ってのは、"Jupiter"を代表として、ヒデの領域だったわけでね。
ただ、"ミウ"、"幻想の花"みたいな、明るさよりも儚さが前面に出る曲は、シングルにするだけのインパクトと判りやすさを持っているのはヒデの方だと思う。今井くん作の一番儚く悲しい曲というと"Flame"というので、それこそ「今井くん、生まれてきてくれてありがとう」と言いたいくらいの秀逸な出来なのであるが、あれはどうしてもシングルカットできない曲なんだな、アルバムの最後に持ってくることで最も生きる曲なので。
 
あと、ヒデに関しては、こないだの「十三階は月光」では、「いい曲はほとんどヒデ作」って認識をわしは持っている。ってより、あのアルバムの路線を考えたのは今井くんだったけども、そのコンセプトに合わせて今井くんが曲を作り、ヒデは確かあれ用には曲を新たに作ってないんですよ、これまで書き溜めた曲の中で「あの雰囲気に合うと思われるもの」を選んで持ってきたと聞いた。だからこそ、アルバム中で、スパイスとして非常に効いているんだと思う。
まあアルバムの中ではスパイスとして効いている、という面のあるヒデの曲だけど、例えば"Cabaret"、"異人の夜"なんかは、「Sexy Stream Liner」の"螺旋虫"と同じベクトルで、聴いてる間も聴いたあとも、何か感性にこびりついてる不可解な感じが残る。単純に、不協和音をさりげなく使ってるのかも知れないが、「気持ち悪い」まではいかないがすっきり自分の意識を別のところに持っていけない感覚が残るのである。それもヒデの得意技のひとつですね。
 
と相変わらずB-Tのことになると書き倒すわしです。