歌詞の解釈

人それぞれだよ、ほんと。そうあるべきだしね。
ってことで、わしは森山直太朗の「さくら」はフツーの「卒業ソング」とは思ってない、あれは死んだ友への語りかけだ。
 
最近またしても、音楽を愛する人たちがたて続けに亡くなって、まあわしは全然周辺事情は知らんので何も書けんけども、全般的な話をすれば、ただ思うのは、音楽を愛する人が亡くなったら、自分は勝手にその人が持ってた音楽への愛を受け継ぐ、と。そりゃそれぞれケースはあるけど、そうやって、周りは勝手に受け継けばよいと思う。誰にも説明しなくていい、自分が音楽を続ける理由、あるいは音楽を聴き続ける理由に、「死んだアイツのため」ってのが加わったところで、誰にも説明する必要もないし、万が一誰かに言って「それは間違ってる」と言われようが、そんなのは放っておけばよい、大事なアイツが死んだあとそれをどう受け止めるかなんて、そんなことに正しいも間違ってるもない。
つーか、時間が経ったら、知らないうちに、「アイツのため」って理由は消えてるからね、何故なら「アイツのため」は知らないうちに「自分のため」に同化するからさ。「アイツが望んでたこと」や「アイツの幸せ」は、気づいたら「自分の望んでること」と「自分の幸せ」に同化する。理屈なんか知らん。相手をどういう形であろうと愛してたらそうなる。そういうものなんだよ。
  
と相変らず後半関係ない話になるのだった。つーか結局なんだかんだで1週間くすぶってたよ、ちくしょう。って、ま、お下品。