音楽のために犠牲にするもの?

最近自分が考えてるのは、家庭と仕事、そしてやりたいことの両立について。自分は音楽やってないけども、ミュージシャンだと自覚している人たちが結婚したり子供を持ったりすると、彼らの生活はどう変るのだろう、とか。自分はやりたいことがあるとそのことしか考えられず、ほかのこと全てが保留になるので(ミクロレベルで言えば、トイレ行くのも食事もめんどくさくなる)、多分音楽などやってて自分をミュージシャンと自覚してたら、家庭は持たないと思う(持つことを批判しているわけではない、ただ自分は両立できないと言ってるだけです)。
そんなことを言いながら、派遣社員生活もほぼ4年、9 to 5な仕事をこんなに長く続けられるとは思ってなかったし、去年からは副業も増え、ライヴも相変らずアホみたいに行ってるし、自分の欲求に従い書きたいときは文章書いてるし、それでも会社は行っている(上司など全ての面において恵まれている、というのも大きい。けど、派遣先が大企業ゆえに、あの壮大な管理体制に、昔はよく日記に「ここにいると心が死ぬ」と書いていた。今はそんなことない)。
何だかんだで、自分は両立できる人間なのかなとか思うけども、よく判らん。
まー自分のことはいいとして、音楽か家庭かみたいな話になると思い出すのはすげえ好きだったある歌い手のことで、彼は結局家庭を取って音楽から遠ざかったけども、どうして両立しなかったのか、とか。本人と話したことないので訊けないけど、色々想像している。
そういや今年櫻井敦司が結婚したが、彼のソロライヴが終って友人とNHKホールの前で、「幸せになったらこれまでみたいな歌詞は書けないよね、うちらの心動かしたのは苦しんでた彼の歌詞だから、これからの安定した彼の歌詞にはもう思うところはなくなるんだろうか、かと言って、ずっと安定せずに苦しんでいてほしいとは思えない、そのへん、自分らの気持ちも矛盾するね」とゆうていた。
あと、まえ大阪にyetいうバンドがあったけど、解散ライヴに行って、尋常ではない表現力のヴォーカルを見てて、あーこの子は歌うの辛いんやろな、と思ったことがある。KORNのジョナサンも、そういうタイプだよね、歌うたびに、自分の通ってきた傷をまた通過する、という。
つーか意味判らんくなってきたので終了。
ほんとは、今考えているのは、何で自分は文章書きたくなるのかな? ってとこです、↑は全然関係ないことかいたけどw